2016年10月18日(火)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.50
胡桃沢耕史「ぼくの小さな祖国」

  
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  ジェームズ・ヒルトンという作家をご記憶か? 「チップス先生さようなら」という中編ぐらいしか、現在では記憶されていないのではないだろうか。
  イギリスではかなりの流行作家だったらしい。「心の旅路」が代表作。
  このヒルトン、冒険ものを書く時には、ひとつの得意のパターンがあった。
  冒頭に老人が出てくる。なんの変哲もない人生を送ってきたような、その老人が死ぬ。ここから、時世が何十年か戻って、その老人の若き日の冒険が淡々と書かれていくのだ。毎月大事件に遭遇しているようなヒーローではなく、平凡な個人が巻き込まれた、一生に一つの冒険である。
  そして、それが冒頭の死とリンクして終わり、読者は快い余韻に浸ることになる。「鎧なき騎士」「失われた地平線」がその好例であろう。
  胡桃沢耕史の出世作「天山を越えて」を読了した時に、「ああ、ヒルトンのパターンだな」と思ったものだ。それを指摘する批評家はいなかったように記憶するが。
「黒パン俘虜記」で胡桃沢氏が直木賞を受賞された後に、内藤陳氏経営の「深夜プラス1」という酒場のカウンターで隣同士になった時に、「ヒルトンはお好きでしょう」と私が話かけると、「ははあ」と胡桃沢さん、複雑な表情をされた。
  物語の伝播。それはいたるところにあるものだ。
  この「ぼくの小さな祖国」は胡桃沢長編としては、小品だが、私は一番好きである。