2016年12月8日(木)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.57
滝口康彦「異聞浪人記」

 

shutterstock_26603341

  「侍といえば、キミたちは斬りあいばっかりやっておる、と思っておろうが」と始めると「スパイ」や「忍者」の時と同じじゃないか、と思われるかもしれないが、今度は少しちがう。某大物作家が話しているのである。
「斬り合いをやるとしても、江戸時代になるとあっても一生に一度あるかないか、であって侍の仕事の大半は事務職なのである。書類仕事ね。今のサラリーマンと同じなのです」
  まだ神坂次郎「元禄御畳奉行の日記」は読んでいなかったし、映画「武士の家計簿」は作られてもいない頃だ。
  その作家、半村良氏はさらに続けた。
「武士がなんで四十台前半で、家督を息子に譲って隠居してしまうのか? ヤマダくん、なぜかね」
  こういう場合、編集者の習性として、なにか言ってしまうのである。会話を切ってはならない。
「釣りがしたかったのでは?」
  半村「ぶー。ちがうちがう。答えは、老眼です。年功序列で偉くなってくると、部署の部下の書いた書類に署名をして捺印を押すだけが仕事になる。しかし、性格が悪くて、剣術はやらぬが書道をやってる部下がだな、小さな崩し字を何行も何行も書いてくると、もう読めない。眼鏡そのものが入ってきたのは、かなり早いが、老眼鏡の普及はずっとあとだから、良心的な侍ほど、早く隠居してしまう。釣りばかりしていたかどうかは知らんけどな」
  なるほど。明快な説明でございました。
  ところでこの滝口短編、斬り合いどころか、切腹をしてしまう。それも他人の家に入っていって。
  それは、小説というものは、特殊な状況、ある可能性があれば、それをぶっ書いてしまってもいいのである。
  だから、このような小説が成立するのである。