2016年6月21日(火)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.38
森詠「わが祈りを聞け」

 

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  ヨルダン内戦に材を取った短編である。
  あまり情報がなく、毛沢東の「大躍進」政策や「文化大革命」が人の叡智の結果と報道された時期があった。中東のイスラエルの報道もほとんど礼賛しかなく、バレスチナ難民問題について日本人はあまり知らなかった。
  その頃に、積極的にその問題を扱ったノンフィクション、フィクションの書き手たちが少数ながらいた。
  森詠は、そのひとりだったと記憶する。
  そも、性善説から考察すれば、ナチスドイツにひどい目にあったユダヤ人が、自分たちの国を造ったとして、周辺の人々にひどいことをするはずがない、ということになるのであろう。
  さて、この短編のヒロインの名はジャミラ、という。
  ジャミラといえば、フランスからの独立戦争の時に、フランス軍に逮捕されひどい拷問を受けたアルジェ娘の名である。この事件は「ジャミラよ、朝は近い」というルポルタージュが出版されたことにより、世界的に反フランスの世論をかきたてた。
  独立したアルジェリアが、周辺国家に何をしたのかは、想像にお任せするが。
  そのかわいそうなジャミラという名前は、普通の日本人にとっては、「もっともかわいそうな怪獣」、ウルトラマンに倒された宇宙怪獣ジャミラとして記憶されている。
  その名前を怪獣につけたのは、意図的である、とウルトラマンの脚本家は書いたそうである。
  名前もまた、流離、模倣されるのである。

2016年5月20日(金)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.37
嵐山光三郎「岡野の蛙」

 

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  食用蛙を採取する男の話である。
  そもそも、食用蛙は、日本人の蛋白質の供給源として輸入された。その餌もついでに輸入したのが、アメリカザリガニである。
  絶滅危惧だの生物多様性だのと誰も言わなかった平和な時代の話である。
  ところが、食用蛙=ウシガエルは日本人の嗜好に合わなかったとみえて、食べられないまま繁殖していった。アメリカザリガニもたちまちニホンザリガニを駆逐した。
  ブラックバスも同じ理由で日本に持ちこまれた。25年くらい前に芦ノ湖湖畔でブラックバス定食1000円を食べたが、うまかったのにな。しかし、食用というよりスポーツフィッシングの対象として増殖してた。
  日本人は、「食」については保守的なのではないだろうか。東南アジアの市場に行くと、セミ、タガメ、コオロギ、サソリ、テッポウムシ、カワゲラなんでもありである。ちなみに最後の二種は、カミキリムシとカゲロウの幼虫である。どうやって食べるのか? 「ファーブル昆虫記」に書いてありますぞ。
  えり好みをしなければ、食料問題なんぞはたちまち解決するのである。
  かのトール・ヘイエルダールは、その名著「コンチキ号漂流記」に貴重な証言をしている。
  プランクトンを食べなさい。
  カニやエビの幼体もプランクトンだからまずいはずはないのである。
  さて、この雑食話が嵐山短編とどうつながるか。
  わはは。つながらないのである。

2016年5月18日(水)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.36
戸川幸夫「咬ませ犬」

 

two young female of Fila Brasileiro (Brazilian Mastiff) playing outdoor on green grass

  俺は藤波の咬ませ犬じゃない。
  プロレスに興味のない方、ごめんなさい。
  これは、1982年に、藤波辰巳とリング上で揉めた長州力のセリフだという。藤波よりも強い自分がなぜその風下に立たねばいかんの、という反逆のセリフ、なのだそうだ。
  私は別の考えである。
  もとより、プロレスというのは、藤波対長州が闘ってどちらが勝ちましたか、というものではない。その闘いがどれだけ観客を興奮させるか、つまり、藤波・長州組対観客の勝負なのである。
  では、なぜ咬ませ犬発言が出てくるのか。
  答えは前田明の存在であろう。
  このころ、新日本プロレスはアントニオ猪木が真の世界一のチャンピォンベルトを作ろうとするイベントが企画されていた。そして、前田を「猪木の後継者」として出場させよう、という動きがすでにあったらしい。自分をさしおいて、長州が嫉妬したのは、藤波ではなく前田ではなかったか。
 「おれと藤波は前田の咬ませ犬じゃない」と言おうとしたかもしれない。
  それとは別に、長州力が戸川幸夫の名作「咬ませ犬」を読んでいた、ということに私は感心した。だが、実は「咬ませ犬」とは、若手ボクサーを売り出すために、落ち目のベテランにぶつけるボクシング界ですでに定着している言葉だとあとで聞いた。
  元ボクシング担当のプロレス記者が長州発言として流用したのかもしれない。
  知らない、ということは恐ろしいことである。

2016年5月16日(月)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.35
椋鳩十「片耳の大シカ」

 

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  少年はその猫を愛していた。
  その猫も少年を愛していた。
  ある時から猫の体調が悪くなった。猫を抱きしめて自動車で病院に向かう少年。猫は黄色いヨダレをたらしながらじっとしていた。
  獣医のクルマとすれ違った。事情を聴く獣医。その時、猫が少年の手から抜け出して走り去った。猫のヨダレを見た獣医、
 「あれは、恐水病ですだ。キミを噛むのを必死で我慢していたんだべ」
  椋鳩十のそれだけの掌編である。子供の時に読んで印象深く、今でもよく覚えている。
  哺乳類がすべて罹る可能性があるのが恐水病。一番、人間に移しやすい犬の罹る恐水病を狂犬病というらしい。
  キングの「クージョ」もコウモリからセントバーナード犬が菌を移された。
  この作品を収録したかった。ところが、タイトルもわからないうえに、膨大な量の椋作品を読破する時間がなくて、代表作の「片耳の大シカ」にしてしまった。
  後悔のひとつである。
  ところで、取材で東南アジアの辺境を北方謙三氏と旅をしたが、愛犬家の北方氏、犬と見ると野良も飼い犬も捕まえてあやして餌付けして手下にしてしまう。
  狂犬病の予防接種をしなければ、次からは同行拒否、という強硬手段に私が出たのは、この椋掌編を読んでいたせいであろう。
  狂犬病の菌が体内に入っても、発症することはまれだけれど、もし発症したら死亡率は100パーセントだそうだ。
  冗談ではすまないのである。

2016年4月15日(金)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.34
中島らも「セルフィネの血」

 

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  中島らもの最高傑作は「ガダラの豚」だろう。アフリカを起点に日本の広告業界に呪術師が乗り込んで来る。迎え撃つ日本の超能力者である。一気に読了して同世代だなあ、という感慨を抱いたのをよく覚えている。
  昔は今のように本が巷にあふれていなかった。ミステリ作家になった人は、ほぼ100パーセント、子供の頃に学校の図書館でポプラ社の子供向けホームズ、ルパン、乱歩の洗礼を受けているはずだ。「ガダラ」を読んで、すぐに私は直観した。らもさんの脳裏に巣くっていた、この作品への触媒である。
  山川惣治の「少年ケニア」と石森章太郎+平井和正の「幻魔大戦」の二つであろう。
  「少年ケニア」はケニアの地にひとり置き捨てられた少年の成長の物語。師匠はマサイ族の槍の名手、ゼガ酋長、ピンチになると助けにくるのは全長20メートルのダーナという大蛇。これは全ページに5、6点のイラストが入り、後の日本の漫画の先駆けとなった作品である。私は「ケニア」で字を覚えた。 
  「幻魔大戦」は、「少年マガジン」連載の破滅テーマのSF。宇宙の彼方から破壊のためにやってきた幻魔一族。向かえ討つのは地球の超能力者軍団。これは、中学生の終わりだったか、努力しないで強くなれるのだ、とはまりまくったものである。「幻魔」が終了してから、あの「あしたのジョー」が始まったのである。
  アフリカと超能力へのあこがれ。
  それを脳の隅から引きずり出して、大長編を完成させるらもさんは、やはりすごい。
  ここに収録する短編は、小技である。実にうまい。そして、なんとも怖い。そういう作品である。

2016年4月13日(水)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.33
小川未明「赤いろうそくと人魚」

 

candle drippings and candlelight aglow on the dark .

  婆さんは、魔女にされてしまった。
  伝来の薬草で村人の病気を治してやったら村医者の嫉妬をかったのである。魔女は火炙りである。それではたまらんから森の奥に逃げ、お菓子の家を建てた。楳図かずお氏の例でも明らかなように、どんな家を建てようが、それは個人の趣味の問題である。
  そこへ、道に迷った兄妹が現れて、家をかじってしまった。婆さんは激怒した。不動産を破壊されれば怒るのが当たり前である。とはいえ、かじり返すのも大人げないと考え、婆さんは兄妹を捕まえて労役による賠償と更生をさせることにしたのである。が、兄妹の凶暴さは、婆さんの予想をはるかに上まわった。婆さんを叩き殺して家に放火して逃亡したのである。
  誰でも知っているグリムの「ヘンゼルとグレーテル」を視点、立場を変えて超訳するとこういうことになる。グリム兄弟は、採集民話の人であり日本でいえば柳田國男である。国破れた民の物語は民話となって残り、国を破って支配した側の物語は神話になる。そして、神話と民話は相互の影響と簒奪をくり返しつつ混交したりするのである。凶暴な兄妹も時の流れのなかで善意の被害者になってしまうのである。
  さて、小川未明である。採集民話ではなく、創作童話の人である。それでも、民話神話が根源的に持つ、残酷性はしっかりと反映されている。
  「冒険の森へ」には民話も視野に入れたかった。しかし、莫大な量の日本民話を読みきれず、未明と坪田譲治を収録したに留まった。
  完全をめざすと、いつまでたっても刊行ができないからである。

2016年4月11日(月)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.32
笹沢左保「赦免花は散った」

 

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  この「冒険の森へ」の巻立てにも、試行錯誤があった。
  全20巻というのは、なんとなく決まっていたが、15巻分ぐらいしか思いつかず、あとなんとなくノリで埋めていった頃の話である。
  巻のタイトルもすべて五文字ということもなく、「ハードボイルドの黎明」だの「SFの時代」だの「冒険小説の誕生」だのといかにもありがちなタイトルが並んでいた。その中に、「アンチ・ヒーロー、参上」という巻があった。「眠狂四郎」、「鬼平」こと長谷川平蔵、「丹下左膳」、「座頭市」、それにこの「木枯し紋次郎」などが並んでいて、さらに飯干晃一「仁義なき戦い」や香山滋「ゴジラ」などもいた。
  まったく何を考えていたのか。
  たとえば「丹下左膳」。長大な林不忘のこの作品の第一巻では、丹下左膳は脇役であった。
  主役になるのは第二巻の真ん中あたりからである。また「ゴジラ、30枚」というのも、長編の一部でゴジラが東京を襲うくだりだけ切り取るつもりだったらしい。
  当時の怪獣は田舎者が多かったらしく日本のどこかに上陸して、東京を目指したのである。
  しかし、この「冒険」の巻立てが進んでくると、思いつき度の強い巻は、淘汰されていった。
  そもそも、ゴジラさまとか「仁義」の後に菅原文太の演じることになる美能組長を員数合わせに使うなどという行為が許されるはずもない。
  編集委員のみなさまの反対で、「アンチヒーロー」の巻は消滅した。
  ボートピープルの如く生き残って、別の巻で生存したのはこの「木枯し紋次郎」と「座頭市」だけである。

2016年3月25日(金)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.31
夢野久作「瓶詰の地獄」

 

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  名も知らぬ遠い国からどんぶらこと流れついたのが椰子の実だったら、詩ができる。
  桃だったら童話になる。
  瓶だったら、どうなるか。
  冒険物語の始まりである。なぜならば、瓶の中から古びて濡れてかろうじて部分的解読可能な手紙が出てくるはずだからだ。
  さらに細工をこらすと、えいやらこと船の甲板に釣り上げられて暴れる大鮫の胃袋から瓶が出てきたりする。瓶の中身は、行方不明になって久しいグランド船長のSOSの手紙。かくして、船長を捜索する冒険が始まるのである。
これは、またジュール・ヴェルヌの「ダンカン号のぼうけん」の冒頭だ。この本が思い出深いのは、私が初めて、自分の意志で買ってもらった本だからである。
  偕成社の「小学校低学年向け・しょうねんしょうじょせかいのぶんがく」の一冊であった。
  瓶の中には手紙あり、というのは、私にとっては、刷り込みといっていいであろう。
  「ダンカン号のぼうけん」は「グランド船長の子供たち」の児童向けの翻案である。
  さて、瓶の中から救助を求める手紙が出てきて、さあ大冒険の始まりだあ、と思わせておいて、するりとかわしたのがこの「瓶詰の地獄」である。ヴェルヌは明治時代には主要作品は翻訳されていたから、夢野少年も「グランド船長」は読んでいて、私と同じ刷り込みがされていたかもしれない。
  で、自分が実作しならこうなる、という成果を十全に見せてくれた。
  鮮やかなものである。

2016年3月24日(木)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.30

海野十三「軍用鮫」

 

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  「小説すばる」2015年5月号に「冒険の森へができるまで」、という逢坂剛編集委員と大沢在昌編集委員の対談が掲載された。

  そのなかに、こういうくだりがある。

  大沢「この「軍用鮫」ってどんな話?」

  編集「これはですね、戦時中に書かれたもので、太平洋の闘いをさらに有利にするためにスカウトしたヤン博士が鮫軍団に爆弾をつけて、敵艦船に自爆突撃を敢行する研究を成功させたものです。ところが実戦になると、アホな鮫どもは、わがほうの艦船に突撃して次々と炎上させ」

  大沢「アホな鮫で悪かったな」

  この対談の司会もリライトも私がやった。

  「編集」というのは、私の発言である。

  それから七カ月。第1巻の「漂泊と流浪」のゲラを読み直して、愕然とした。「軍用鮫」のストーリーがちがうのである。

  東洋鬼国・日本と戦争中の中国は、ついに印度国境に遷都するまでに追い詰められていた。起死回生のために楊博士に日本海軍を壊滅する策を献じるように命じる。顎と歯の強度に改良された3000頭の虎鮫は、練魚を繰り返し、さて実戦。虎鮫軍団は船底を齧って次々と艦船を沈没させたが、なぜか中国軍の精鋭艦だけを齧ったのであった。

  これが正しいストーリーである。似てはいるもののやはり違うなー。なぜこういうことになったのかは不明である。鮫がアホなのは同じじゃが。あ、大沢委員、すみません。

  私は嘘つきなのだろうか。違います。法螺吹きなだけであります。

2016年3月23日(水)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.29

野上弥生子「海神丸」

 

Nature force background - stormy sea, dark clouds with bright lightnings

  カンニバリズム、人肉食。

  実践しようとは思わないが、その行為をする時にどんな思いがするのかには関心がある。

  一般に、人を喰ってしまう動機には、二種類あるとされている。

  まず、飢え。アンデス山脈に不時着したラグビー部の大学生が仲間の死肉を食べたとか、中国の躍進的大飢饉で赤ん坊を食べちゃったとかですね。

  次に、宗教的な食人。これは、戦闘で敵の勇者を討ちとった時に、その内臓を食して勇気をもらおうとして始まったらしい。

  それ以外に、もう単にそういう衝動に耐えられなくなった特殊な個人の問題で、上記の二種の団体戦とは本質的に違うようだ。

  で、食人で一巻まとめてやろうではないか、と私は考えたわけである。それも一応「冒険」かもしれないし。武田泰淳「ひかりごけ」とこの「海神丸」があり、短編なら村山槐多「悪魔の舌」、妹尾アキ夫「恋人を食う」、筒井康隆「定年食」などの怪作があることも知っていた。

  問題は長編だが、あの西村寿行に「わが魂、久遠の闇に」という超絶長編があるのである。

  しかし、寿行先生は「赤い鯱」や「呑舟の魚」などあちこちの巻からヒキが多く、結局、「滅びの笛」を選んで「動物」の巻の柱になっていただいた。

  そこで、いろいろと人食い長編を探しだしては読んでおったのだが、陰陰滅滅としてくるのである。脳が溶けそうになり、読者にもそれを強いるに忍びず、結局「究極の食卓」(仮題)の巻は消滅した。

  その名残りとして野上作品が流浪の末、この第1巻に漂着した、というわけです。