2015年7月29日(水)逢坂剛・大沢在昌 対談 vol. 6 ~さらに作品選定の裏舞台を考える~

逢坂 それにしても、ショートストーリーまで入れると254編か。こうして見直してみると、ずいぶんいろいろなパターンの小説が集まったよな。

 

大沢 広げたら、もっともっと広がったでしょうね。SF、時代まで広げたのは、正解だったかもしれない。

 

編集 海の巻、[波浪の咆哮]の巻に、三島由紀夫「潮騒」を入れようとして、いくらなんでも、と委員のみなさんに却下されたこともありました。

 

大沢 そこまで広げると、俯瞰してそのジャンルを読み返さないといけないじゃないですか。

 

逢坂 三島由紀夫は、短編にしたんだよね。

 

大沢 まあ、「冒険の森へ」の編集委員じゃなかったら、ぼくはお金をだして、書店で買うと思いますね。これ、いくらなの?

 

編集 最初の配本の2冊は2000円です。600ページ以上あるんですけどね。

 

逢坂 この厚さで2000円はすごく安い。読みどころは、やっぱり短編かな。どうしてこの短編がこのテーマに入るのかと思って読み進めるとラストではまっていた、とかね。また、掌編から短編、それぞれの短編から長編への並べ方がいいものね。

 

大沢 ぼくは、やっぱり長編だと思いますけどね。

 

逢坂 長編は、現在、書店店頭で手に入るものが多くない?

 

大沢 あるものはありますが、絶版ものも多い。問題はその中間で、絶版とは出版社はなかなか言わないし、「絶版」にかわる実に豊富なボキャブラリーを持っているんです。

 

逢坂 品切れ重版待ち、とかね。

 

大沢 ただいまカバー改装中、とか。

 

逢坂 在庫あり良品些少とか。要するにないのだろう、と思うじゃないか。

 

大沢 ところで、編集者クン。

 

編集 はいはい。

 

大沢 刊行の順番についてだが、なぜこうなったのか説明いただきたい。

 

編集 お答えいたします。まず、第1回配本の2冊は、北方さんの「檻」と飯嶋和一氏の「汝ふたたび故郷に帰れず」と志水さんの「行きずりの街」と花村萬月氏の「なで肩の狐」です。北方、志水の両氏は、ハードボイルドの牽引者で、飯嶋氏は純文学からスタートして、現在は純文学・エンタメの枠を越えた創作活動をしておられます。花村氏は、ご存じ、芥川賞受賞の文学者でございます。始めから、そういう幅の広い叢書であるぞ、と提示したかったわけですね。

 

大沢 それはそうだが、逢坂剛「百舌の叫ぶ夜」と大沢在昌「毒猿」が一緒に入っている[法の代行者]の巻が第6回配本。もっと前のほうだと言っていたではないですか。

 

編集 確かに申しあげました。しかし、そのあとに事情が変わったのでありますよ。去年「百舌の叫ぶ夜」がテレビドラマの「MOZU」となって評判になり、逢坂さんの文庫が売れまくってしまったわけですね。

 

大沢 それとこれと、どういう関係が。

 

編集 集英社の販売部としては、去年「百舌」を押し出し、今年も押し出すというのは、タマがないようで、やめよう、ということになり、配本順が下がってしまった、というわけです。

 

逢坂 うん。去年は、印税をたくさんいただきました。

 

大沢 ワリを喰ったわけだね、ぼくは。

 

逢坂 大丈夫。大沢委員、長く生きていれば、春はまた来るわけだから。

 

編集 本日はありがとうございました。

2015年7月28日(火)逢坂剛・大沢在昌 対談 vol. 5 ~冒険小説・黎明期を語る~

逢坂 さて、「冒険の物語」から話を「冒険小説」に戻して、この5人の編集委員全員がかかわってしまった「冒険小説ムーブメント」と言われた時代は、一体、なんだったんだろうかね?

 

大沢 昭和50年代前半に「本の雑誌」で北上次郎さんが孤軍奮闘して冒険小説を取り上げて書評し、相前後して内藤陳さんが「月刊PLAYBOY」で、翻訳中心だったけれども「冒険小説」にこだわったあたりから始まったんだと思います。

 

逢坂 陳さんの「日本冒険小説協会」というのは、いつできたんだっけ?

 

大沢 1980年ごろじゃなかったかな。ぼく、船戸のおっちゃん、佐々木譲さん、逢坂さんはかろうじてデビューしていて、81年に北方謙ちゃんと志水辰夫さんがデビューという懐かしい時代です。

 

逢坂 みんなまだ暇で、新宿の陳さん経営の「深夜プラス1」にいけば、冒険系の誰かが飲んでいた。

 

大沢 問題は、「冒険小説を書いている」という自覚をかならずしも共有していなかったことです。むしろ、ハードボイルドを書いている、という自覚のほうが強かったように思います。北方委員長にいたっては、ハードボイルドのことなど知らなかったし。それを陳さんが「冒険小説協会」を作る時に、「冒険小説・ハードボイルド」をもって日本の「冒険小説とする」と決めてしまったわけですね。ま、作家の頭数が足りなかったからしょうがないのかもしれないけど。

 

逢坂 最初のころは、「日本冒険小説協会大賞」を取った取らないで騒いでいただけのような気がする。

 

大沢 それを、ぐぐっと押し広げたのが、まず北方委員長の本が売れたこと、次に逢坂委員が直木賞を取ったこと。気がついたら、冒険・ハードボイルド勢は、いろいろな賞をとりまくっていた。

 

逢坂 そのころは、SFのブームが終わったあたりだったよね。

 

大沢 SFブームのスケールは、はるかに大きかったように記憶しています。前からあった「SFマガジン」に続いて「奇想天外」「SFアドベンチャー」「SF宝石」の専門雑誌が創刊され、各小説雑誌もしょっちゅうSF特集をやっていた。角川文庫がSFを売りまくったし。冒険・ハードボイルドには、そういうジャンル・ブームはまったく起きなかったですからね。

 

逢坂 その代わりに、冒険・ハードボイルドは、文壇という業界内部に転進していった、ということはないのかね。

 

大沢 結果から逆算すると、そういうことかもしれません。もちろんハードボイルドにこだわったぼくと、たまたまデビュー作の帯に「ハードボイルドの新星」と書かれたためにその気になっちゃった北方謙ちゃんのように、それぞれ、自分の書きたいものを書いていたら、「冒険・ハードボイルド」にくくられちゃった、ということはあったにしても。

 

逢坂 で、いろいろあったけど、結局、「冒険小説ムーブメント」はなんだったんだろうか。

 

編集 はい。

 

大沢 はい、編集者クン。

 

編集 愚説を申しあげます。今回の「冒険の森へ」のために山ほどいろいろ読んだのでありますけれど、その昔、たとえば坂口安吾と山中峯太郎が同時代に文学作品と大衆小説を書いていたころには、作品のレベルに明確な差があった、と感じました。

 

逢坂 そうだろうね。

 

編集 そのレベルの違いの要因のひとつに「小説の視点」の問題があった、と思われます。時代がくだって、昭和50年代になっても、おやまあと思う流行作家に安易な視点操作や不規則的な視点変更があったりいたしました。

 

大沢 しかし、現在は純文学とエンタメ小説の間のそういうレベル差はあまりなくなっているんだよね。

 

逢坂 ひょっとすると、視点にうるさい作家が大挙してデビューし、文学賞をたくさん受賞し、さらに取った文学賞の選考委員を歴任しているうちに、「視点」問題は小説家予備軍の常識になっていった、ということか。うーん、言い過ぎたかな。

 

大沢 確かにぼくも「視点」にはうるさいけど。船戸さん、志水さん、北方さん、みんなデビュー作からその点では、確固としていたなあ。

 

逢坂 まあ、そういうことがあったとして、ギョウカイに対してささいな貢献があった可能性もある、というくらいにとどめましょうか。

2015年7月27日(月)逢坂剛・大沢在昌 対談 vol. 4 ~惜しくも収録されなかった作品群~

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編集 では、おふたりが委員として、この「冒険の森へ」に収録したかったけれども残念なことに入らなかった作家や作品についてお聞かせいただけないでしょうか? 枚数とかの制約は考えないことにして。

 

大沢 それはもう、都筑道夫さんですよ。「なめくじに聞いてみろ」かな。ハードボイルド作家になろう、と思ったのは、生島さんは別格として、やっぱり都筑作品だったからなあ。

 

逢坂 結城昌治さんの「ゴメスの名はゴメス」はどう?

 

大沢 ベトナムの取材をしないで書いちゃったという作品で、他にもっといいのがたくさんあるから。逢坂さんは、まず、と言ったらなんですか?

 

逢坂 まずは、吉村昭でしょう。「破獄」「漂流」「破船」と冒険とハードボイルドとしても読める傑作がたくさんある。ぜひ収録したかったんだけどね。

 

大沢 「羆嵐」もよかったですよね。

 

逢坂 「羆嵐」は、比較的短い長編だったから「動物」の巻にぴったりだと思ったんだけどなあ。

 

大沢 二番目は、司馬遼太郎の「梟の城」です。「忍者」だったら絶対に入れるべきだと思ったんですけどね。霧隠才蔵が主人公の「風神の門」でもよかったしなあ。

 

逢坂 もっと強く主張すればよかったのに。

 

大沢 時代ものの収録に反対したので、強く言えなかったんですよ。

 

逢坂 私は黒岩重吾は「背徳のメス」だったんですけどね、デビュー作はなるべく避けようと編集部に言われてひっこめてしまった。うん、残念なことをした。

 

大沢 現在の海堂尊につながる医学ミステリーの嚆矢的作品ですよね。間に山崎豊子の「白い巨塔」があって。

 

逢坂 まあ、しょうがない。

 

大沢 中田耕治の短編は、何かを拾いたかったなあ。ウィリアム・マッギヴァーンの翻訳をしながら、ハードボイルドを書いていて、サラリーマンを主人公にしたアクション・ハードボイルドが2冊くらいあったはずなんだ。

 

編集 私は中田さんの「異聞真田幸村」という忍者小説を中学生のころに、愛読しておりました。

 

大沢 え、そんなのあるの?

 

編集 真田十勇士の中の、由利鎌之介とか望月六郎とか穴山小助などというマイナー系勇士を主人公にした書き下ろしでした。確か、東都書房刊、です。

 

逢坂 石原慎太郎元都知事の「夜を探せ」というのが面白かった。けっこう純文学とエンタメを書きわけていたんだよね。それから「汚れた夜」も面白かった。

 

大沢 ぼくは、石原慎太郎さんだったらやっぱり「亀裂」だな。なんかヌエみたいな作品だけど。追いかけて読んでいた時期があったんですよ。それから「野蛮人のネクタイ」。

 

編集 私なら青春ラグビー巨編「青春とはなんだ」でございます。

 

大沢 それから、柴田翔の「されどわれらが日々」。これは北方委員長に一蹴されてしまった。あ、隆慶一郎の「吉原御免状」はハードボイルドだと思う。天皇のご落胤で、宮本武蔵が育ての親で、柳生宗冬から新陰流の奥義も教わっている。これはもう、日本史上最強のヒーローでしょう。

 

編集 それもデビュー作でございます。

 

逢坂 私の「百舌の叫ぶ夜」と一緒に直木賞の候補になって、同時落選した作品だな。しかし、大沢委員は「時代ものをはずせ」と言ったわりには好きでねえの。

 

大沢 委員の正義と、読者の正義はちがうのであります。

 

逢坂 あと、高城高の「微かなる弔鐘」。10年ほど前、不死鳥のようにカムバックしましたね。だいぶ先輩ですが、健筆をふるっておられます。

 

大沢 高城さんは、歴史的では、日本でハードボイルドを書いたのは、生島さんや大藪さんよりも早いんだよね。

 

逢坂 若くして、書かなくなってしまったのは、新聞社に入社されたからですね。

 

大沢 きりがないけど、短編で言うなら、日影丈吉と片岡義男。片岡さんの「ラジオが泣いた夜」はよかった。で、編集者クンの残念をひとつだけ言いなさい

 

編集 やはり、山本周五郎の長編ですねえ。「樅ノ木は残った」か「さぶ」でしょうか。

 

写真:塔下智士

2015年7月24日(金)逢坂剛・大沢在昌 対談vol. 3~その後の仁義なきバトルロワイヤル~

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逢坂 さて、長編の選定が済んだけれども、全然それでは終わりじゃなかった。選んでいる過程で、年代順だけではなくテーマ性でも共通する2長編にタッグを組ませ、それにタイトルをつけ、短編もそのテーマに沿った作品を選んで行こう、というアイディアが浮上してきた。

 

大沢 そうそう。どんどん大変になってきた。それにしても、各巻のタイトル、臭くない?

 

逢坂 くさいくさい。

 

大沢 [極限の彼方]とか[追跡者の宴]とか[牙が閃く時]とか[背徳の仔ら]とかちょっと古いよね。[暗黒の街角]なんてかなり厳しい。言っちゃ悪いが。

 

編集 なるべく、国産の冒険・ハードボイルド系の作品のタイトルから単語をいただいてきて、繫ぎ合わせたのです。[動物小説集]とか[ヤクザ小説集]とか[海洋小説集]とかそのものズバリは遠慮したわけです。

 

大沢 つまり、パクったわけね。

 

編集 ええまあ。でも、ご指摘のあった[背徳の仔ら]は、黒岩重吾「背徳のメス」と天童荒太さん「永遠の仔」からいただいたわけですから、時空を超えたオマージュとでも申しあげましょうか。

 

大沢 SFに飛ばせば、黙ると思っておるな。

 

逢坂 私もSFを入れるのには、初めからちと違和感が。

 

編集 もう、手遅れでございます。

 

逢坂 それで、それからは、長編の版権交渉と短編の作品選定が始まった、というわけだったね。

 

大沢 版権交渉は、著者ないし著作権継承者の許可を取ってから、出版社に連絡したわけだ。

 

編集 牛のクソにもダンダンがある、のです。

 

逢坂 え、なんだって?

 

大沢 はいはい。解説させていただきます。「牛のクソにもダンダンがあるんじゃい」、これは「仁義なき戦い」の第何部かでの宍戸錠の有名なセリフです。おそらく前後の文脈から翻訳するに、「ものごとには手順がある」、と言いたかったものと思われますね。

 

逢坂 わかった。つまり、まず著作権者ならびに継承者の許諾から入った、と言いたかったんだ、この編集者は。

 

編集 ご明察。

 

大沢 ちょっといぢられたからといって、いぢけてはいけません。

 

逢坂 それで、次の段階に入ったわけだ。長編の版権交渉をしつつ、テーマに合わせた短編を読みまくって巻立てに入れこんでいった。

 

編集 その著者・継承者へのお願いの過程で、断わられちゃったり、「その作品」ではなく「あの作品」にしてくれと言われたり。「あの作品」のほうが、「その作品」よりも500枚長かったりしたわけです。
大沢 せっかく選んだ39長編の修正を余儀なくさせられたわけだ。最初になくなったのが時代小説2巻で、「剣客の巻」と「忍者の巻」の合併だったよね。

 

編集 まあ、委員たちの選んだ作品で入らなかったリストが比例代表の名簿のようになっていたので、差し替えそのものはすんなりといったのですが、もうこのころには短編の入れこみ作業がかなり進んでいて、長編が変わるとその巻全体のテーマが変わるじゃないですか。ですから、変わるたびに、短編の群れが、開高健や西村寿行の書いた鼠の群れの如くに、どどどどっと、いなくなったり他の巻に流入したりして。

 

逢坂 大変だったのね。

 

編集 短編は短編で、長編以上の量のリザーバー・リストを作っていたので、なんとかなっていたわけですが。

 

大沢 しかし、どの時点だか忘れたけれども夢枕委員が、星新一作品を入れろと言いだして、ああだこうだと言っているうちに、各巻にショートショートや掌編を5編くらい入れることになっていった。

 

逢坂 SFの作家たちに優れたショートショートがあるのは知っていたけど、日本にはそれ以外にもショートストーリーを書いた作家はいたわけだし。

 

編集 星さんを中心とするSF勢に稲垣足穂、吉行淳之介、「夢十夜」の夏目漱石を並列に並べたらどういう風景が見えてくるのか興味もありましたからね。ところで、逢坂委員のショートストーリー「決闘」の主人公の日本人は、忍者ですか、剣客ですか?

 

逢坂 どっちでもいいじゃないの。

 

大沢 生島治郎さんや都筑道夫さんも書いているしなあ。五木さんや赤川さんにもある。

 

逢坂 それでまた、軌道修正があって、各巻長編1、2編、短編5、6編、ショートストーリー6編くらい、という現在のカタチがやっと見えてきたわけだ。

 

編集 長編の交渉のあとに、短編・掌編の版権許諾のお願いがやっと終わって、次に版元にお願いにあがったのですが、おおむね、温かいご賛同をいただきました。

 

大沢 一件落着、というわけだな。

 

逢坂 お疲れさまでした。

 

写真:塔下智士

2015年7月23日(木)逢坂剛・大沢在昌 対談vol.2~白熱の委員たちのバトルロワイヤル~

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逢坂 それから、長編40編の選定に入っていったわけだ。

 

大沢 そうです。編集部もかなりアバウトで、長編を各巻に2冊ずつほうりこんで、ページの調整を短編でやりましょう、という程度だった。

 

逢坂 しかし、とはいっても、すんなりと40編が決まったわけじゃないよね。

 

大沢 あらかじめ、はずせない、という長編を委員それぞれに列挙してもらい、次に作品はあとで検討するが、はずせない作家を列挙してもらうと、たちまち70編くらいになっちゃったんだよね。

 

逢坂 その約70編を年代順に並べていって本格的な選定に入っていった。

 

大沢 問題はけっこう多かった。「冒険の物語」のジャンル的な幅、いつからいつまでの刊行作品を対象とするか、作品優先か作家優先か。そして、作品の長さ。だいたい時代がくだるごとに、作品がどんどん長くなっていくんだよね。

 

逢坂 すべて、船戸与一委員が悪い。

 

大沢 逢坂委員の「カディスの赤い星」のほうが、先鞭という意味では先だったと記憶しておりますが。

 

逢坂 それはさておき、編集部からは、各巻600ページくらい、すると400字詰め原稿用紙換算で1500枚くらいにしてくれ、と言われていたし。なぜ1500枚なんだっけ?

 

編集 定価の問題でございます。3000円以下にしたかったんですよ。

 

逢坂 すると私の「カディス」はもちろん、船戸委員の「猛き箱舟」や夢枕委員の「神々の山嶺」が初めから対象外、という事態が生じてしまったわけだったな。

 

大沢 ぼくが「神々の山嶺」と真保裕一の「ホワイトアウト」を同じ巻に入れて「大自然の猛威の巻」と言ったら担当編集が邪眼になってしまったわけだ。

 

編集 だって、その2作品だけで3000枚でございますよ。

 

逢坂 で、SFの2巻と「格闘技」の巻は夢枕委員に任せて、いろいろと意見を出しあっているうちに、長編は、1巻に2作だが、例外もあり。年代の幅は2000年末まで。作家か作品かはあいまいのまま。というようなことで、だんだん収録長編が絞られていったわけだな。

 

大沢 なぜ、2000年末にしたんだっけ?

 

編集 版権の問題でございますよ。作家の方もさることながら出版社の側の。いくら傑作だからといって、出たばっかりの、極論を言えば、百田尚樹氏の「永遠の0」をくれ、と言ったとして、版元がOKするわけがないじゃございませんか。

 

大沢 で、どこかで切らなくちゃ、という話になり。

 

逢坂 北方委員長が2000年末、と理由は忘れたけれど、宣言しちゃったんだよね。

 

編集 区切りの語感がいいし、2000年末なら、横山秀夫さんとか乙一さんとかが、かろうじて入るのですよ。

 

逢坂 それで、第1巻の[漂泊と流浪]が井上靖「敦煌」、江戸川乱歩「白髪鬼」になったのはどういう経緯だったっけ?

 

大沢 この長編2作は「冒険の森へ」全体の性格にかかわる選定であるから、物語の幅を大きくとるべきである、と北方委員長が言いだして、文芸寄りの井上靖とエンタメの神様・江戸川乱歩が浮上したわけです。ところが、作品選定となるとみんなが勝手なことを言い始めてたちまち紛糾した。どんな作品が上がってきたんだっけ?

 

編集 井上先生が「夏草冬濤」「蒼き狼」「氷壁」などなど。乱歩先生が「影男」「人間豹」「暗黒星」「大暗室」などなど、ですね。

 

大沢 結局、「敦煌」か。これ、時代小説じゃなかったっけ?

 

編集 山田風太郎の「明治断頭台」が時代小説かどうか論議が分かれるように、これは諸説分かれる微妙なところでございます。

 

大沢 「白髪鬼」はたしか翻案ものじゃなかったっけ?

 

逢坂 えー、イギリスのマリー・コレリという作家の「復讐―ヴェンデッタ―」という作品を黒岩涙香がまず翻案しました。しかし文章の格調が高すぎるという理由で、江戸川乱歩が翻案し直しという禁じ手を使って世に出たのがこの「白髪鬼」です。

 

大沢 ふーん、昔はおおらかだったんだ。

 

逢坂 しかも、そのコレリの「ヴェンデッタ」もデュマの「モンテ・クリスト伯」のオマージュだったという説もあるらしい。

 

大沢 ややこしいな。ところで気になっていたんだけど、この1巻に入っている海野十三の「軍用鮫」という短編はどんな話なの?

 

編集 この短編はですね、戦時中に書かれたもので、わが大日本帝国と交戦中の中国が舞台です。日本海軍に手こずった中国は、マッドサイエンティスト楊博士に戦局打開を相談しました。軍用犬から発想を得た博士は3000頭の虎鮫を訓練して、銅鑼の音とともに敵船の船底を齧って沈める、という実験に成功したわけであります。ところが実戦にはいるとアホな鮫は中国艦隊の底を齧って全滅させ。

 

大沢 アホな鮫で悪かったな。

 

編集 新宿方面の鮫ではありません。

 

逢坂 それでも、編集委員が長編を1作ずつ提供して、いろいろあったけど、ついに20巻の[疾走する刻]にまでたどりついたわけね。長編38編ぐらいになったのかな。長いのもあったから。20巻では、宮部さんと福井晴敏の長編が並んで。

 

大沢 宮部さんの冒険度の強い作品は、この「スナーク狩り」と「クロスファイア」しかないからね。福井さんの「川の深さは」は、その昔、江戸川乱歩賞を受賞させるさせないで北方謙ちゃんと大喧嘩になったものだ。

 

逢坂 どっちが勝ったんだっけ?

 

大沢 委員長の勝ち。でも翌年福井さんはまた応募してきて受賞した。謙ちゃんとモメた作品がこの「川の深さは」ですよ。

 

逢坂 今回は北方委員長、文句言わなかったよね。

 

大沢 もう、忘れたんでしょう。

 

逢坂 その時に受賞したのは、誰だったっけ?

 

大沢 野沢尚さんの「破線のマリス」。

 

写真:塔下智士

2015年7月22日(水)逢坂剛・大沢在昌 対談 vol.1~「冒険小説」から「冒険の物語」、そして「冒険の森へ」~

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大沢 逢坂剛委員、吉川英治文学賞、ご受賞おめでとうございます。

 

逢坂 いやいや。ありがとうございます。

 

大沢 去年も日本ミステリー文学大賞をもらったし、「百舌」シリーズは爆売れするし、ふたたび剛爺に春が来ましたなあ。

 

逢坂 なにか、棚からぼた餅、という感じですな。でも、大沢委員、今日はそういう話に来たわけじゃなくて。

 

大沢 そうそう。北方謙三編集委員長のもと、いかにわれわれが苦労を重ねて「冒険の森へ」をカタチにしたか、という話をしてくれ、という注文でした。

 

逢坂 最初に2012年夏だったかな、集英社から、この編集委員の話が来た時は、「冒険小説・ハードボイルド全集」というふうに理解していたの?

 

大沢 そうですね。コアの部分のそういう作品だけを並べるのだろうな、と思っていました。ところが、最初の編集部のたたき台的巻立てを見ると、「時代小説」と「SF」が全20巻のうちに2巻ずつ入っているので、思っていたものとはずいぶん違うな、と感じました。

 

逢坂 大沢委員は、いちばん最初に「時代小説」はいらない、と主張していましたな。

 

大沢 はいはい。でも別に「時代小説」の中にも冒険小説・ハードボイルド的なものが存在しないと思っているわけではぜんぜんなくて、むしろ豊富にあることはよくわかっていました。ただ、それを入れることになって焦点がぼけてしまうんじゃないかな、という危惧を感じたんですよ。

 

逢坂 で、相譲らず、最初から議事は停滞してしまった。

 

大沢 日本の大衆・娯楽小説の中で「時代小説」の果たしてきた役割の大きさを考えるとはずすべきではない、という他の委員のご意見もそれはそれで、そのとおりであって。

 

逢坂 で、挙手による決をとったら、大沢委員の手の一本しかあがらなかった。

 

大沢 それは、決まったことなので別に今さらどうのこうのという気はないです。

 

逢坂 私も実はここに「時代小説」を入れるのには必ずしも賛成ではなかったんだよね。

 

大沢 ええっ。じゃあ、あの時に手をあげてくれればよかったのに。

 

逢坂 うん。でも全面的に反対というわけでもなかったし。でも、入れておいてよかったと今は思うけどね。それより、私はあんまり強くは言わなかったけれども、SF作品を入れることには、あまり賛成じゃなかったんだよ。

 

大沢 そうなんだ。でも、田中光二さんとか山田正紀さんとか、SFと冒険のボーダーで活躍している人たちがたくさんいたわけだし、俺は時代ものははずしても、SFははずさない、というポジションでしたけどね。

 

逢坂 まあ、それよりも、委員の中にSF出身の夢枕獏さんがいたわけだから、もう編集部との了解事項として、「SFは入れる」という集英社サイドの意思は感じていたのでね、あそこで、「SFはずし」を始めたら、ますます滞ってしまうじゃないですか。

 

冒森編集部(以下、編集) で、20巻で40編の長編を選ぶところから始まったわけです。

 

大沢 突然ですが、冒険・ハードボイルドというのは、「秩序」と「情緒」の物語だと思っていたのですよ。

 

逢坂 なるほど。

 

大沢 秩序というのは、たとえば社会体制が安定している中では、その安定に反旗を翻したい人間たちが、海外で何か大きなことをする。一方、混沌とした状況の社会では、秩序を求めて生きていこうとする人間たちが物語になる。

 

逢坂 秩序に従順だったら、物語にならないしなあ。対立軸がはっきりしていないと、物語のドラマ性が弱くなる。

 

大沢 かつては、西のアメリカ、東のソ連の対立というある意味安定した秩序の中で冒険小説は成立していった。もっとさかのぼれば、ナチス・ドイツを悪役にしておけばよかったんですよ。

 

逢坂 では、もうひとつの「情緒」というのは「感情移入」の問題なのかな?

 

大沢 そうです。読者が感情移入できる登場人物のいない物語は、書くほうも読むほうも辛いじゃないですか。もう、ナチスもソ連もないし。では、イスラムの一部を一方的に悪役にすればいいのかというと、歴史的にも現在の状況的にも、必ずしもアメリカ側が善で、イスラム側が悪という構図は成り立ちにくい。

 

逢坂 そういう状況の欺瞞性に、みんなが気づいてしまったところがあるしね。特にベトナム戦争からベルリンの壁消失まで長い時間をかけてね。正義のありどころが、どんどん増えていっちゃった。立場の数だけ正義があるみたいな。

 

大沢 日本の冒険・ハードボイルドの書き手たちがいっせいに、袋小路に入っちゃった。そういう小説の歴史に忠実に作品を選んでいくと、どうなるのか、という不安がありましたね。

 

逢坂 そこで、従来型の冒険・ハードボイルドの枠をはずして、時代小説、SF小説も入ることだし、「冒険の物語」ということで、選択肢を大きく広げて、さらに「冒険小説」という呼称さえはずして「冒険の物語」にしてしまおう、という意見が出てきた。

 

大沢 あのあたりから、なにか大きく軌道が変わって来ましたねえ。

 

逢坂 私は、あらゆる小説は、冒険小説であるというのが持論であるからして、特に違和感はなかったけどね。むしろ大沢委員の言う秩序と情緒に特化した「冒険・ハードボイルド」小説だけを集めると、たぶん、くたびれてしまうだろうと思うな、読者が。

 

大沢 僕の持っている冒険小説のガチガチに狭くスタンスを取った全集も個人的には、読みたいんですよ。けれども、集英社の周年企画の看板の元でやれ、とは言いにくかったわけです。

 

編集 「冒険小説全集」から「冒険の物語」への転換に、いちばん反発するのは大沢さんだろうなと思っていたので、大沢さんが、「冒険小説」というくくりをはずしてしまえ、と率先して言ったことには驚きました。

 

大沢 だって、もうすでに内容は「冒険小説・ハードボイルド」だけじゃなくなりそうな感じだったものね。

 

写真:塔下智士

2015年7月17日(金)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.8

田中光二「大いなる逃亡」

 

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「PF」という小説のジャンルをご記憶の方は少ないかもしれない。ポリティカル・サイエンス・フィクションの略であり、「政治SF」と紹介されていた。

そのPFの数少ない書き手が田中光二だった。

デビュー長編の「大滅亡(ダイ・オフ)」は、赤ん坊が死産してしまうか、正常な状態で生まれてしまう、という事態が続出している近未来の日本。その事態を経験した主人公が謎を追い、ついにそれが「国家による人口の間引き」であることを突き止めるが、その必要性を認め「間引く側」に転向するというプロットであった。

当時、世界を席巻していた「人口爆発による人類のエネルギー問題」を記憶していないと、理解不能かもしれない。現在の地球温暖化問題以上のスケールでこの「エネルギー危機」は語られ、アメリカでも映画『ソイレント・グリーン』『赤ちゃんよ、永遠に』が作られた。にもかかわらず、地球人口が増え続けたのは、必ずしも人類の対応が一枚岩でなかったせいである。

などと違う作品の紹介をしてしまったが、この収録長編はその田中PFの最高傑作であり、忘却されるのは惜しいと考えるものである。

2015年7月16日(木)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.7

五木寛之「無理心中恨返本」

 

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「松、だよね」「えー、それはですね先生、あれがこうでこれがそうでございまして、梅にお吸物でいかがでしょうか」「もう少しなんとか」「では、おしんこにご飯大盛りでは?」「松がいいな」「この前に出させていただいた「車両姦怪鉄拳」がキビしくて」「そうか」「では、ここは思い切って、竹にしましょう」「せめて竹にお吸物では?」「いや、竹のご飯少な目でございます」

なんなの、この会話、と思われるだろうが、これはれっきとしたビジネス会話なのである。次の新刊の初版部数を作家と編集者がしている。松が50000部、竹が30000部、梅が20000部。お吸い物が3000部、おしんこが2000部、ご飯大盛りが1000部である。これを先の会話に当てはめられると意味が通るはずだ。

銀座のホステスなどに化けて盗み聞きしている税務署の隠密に対する対策として、こういう隠語ができたらしい。そして、今夜も作家と編集者の間の初版部数をめぐる戦いは続いているのである。

さて、五木先生のこの収録作は、きわめて稀少な「初版部数小説」である。業界に長く棲息する私もこんな悲惨話は聞いたことがない。当たり前だ。小説は事実より奇なのだから。

2015年7月10日(金)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.6

新田次郎「八甲田山死の彷徨」

 

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高木勉氏の『八甲田山から還ってきた男』を読んだ。読了してすぐに新田次郎『八甲田山死の彷徨』を再読した。高木氏は、日露戦争直前の弘前連隊の福島中尉、映画で言えば高倉健演じた生還した隊長の甥で、莫大な福島中尉の手記を精読した上で、新田作品の虚構を論証したものである。

つまり、福島隊と北王寺欣也神田中尉・青森隊の行軍訓練の行程の一部一致は、まったくの偶然で、双方が八甲田山の頂上で会おうなどという話はなかったどころか、それぞれが別の隊の存在さえ知らなかったようなのだ。

生還者の手記からの結論なら正しいのであろう。高木氏の企図は、新田作品によって「歪められた」歴史を正すことと推察される。

しかし、である。司馬遼太郎の歴史小説は歴史書ではなく小説である。同じく新田版「八甲田山」も小説なのである。

そして、私が感動したのは、生還したために資料のある福島隊の描写と、ほとんど壊滅したために資料が少ない神田隊の描写にブレがないことである。資料豊富なシーンと想像中心のシーンに書きようの差が出てくることは多々あることである。高木氏の意図とは別に、私は感動を新たにしたものである。

 

2015年6月18日(木)

「冒険の森へ」編集者の私的解説 vol.5

清水義範「永遠のジャック&ベティ」

 

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「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と福沢諭吉は「学問のすすめ」に書いたそうな。平等主義の見本のようだが、嘘である。「と云へり」続くのだ。「と言う人もいる」ということである。

「事実は小説より奇なり」というのもある。これも嘘だ。そもそも事実よりも「奇」なのが小説なのであり、ごく稀に、例外があるだけなのだ。清水短編は、もちろん「奇」である。

団塊の世代が経を丸暗記するように読まされた英語の教科書。ジャック「ワタシの名前はジャックです。キミの名は?」ベティ「ワタシの名前はベティです。これはペンですか?」J「これはひとつのペンです。それは何ですか?」B「これは避妊具です」J「それは何に使うところのものですか?」以下以下。

30年経って、そのジャックとベティがアメリカのどこかの街角で再会する。さて、いったいどういう会話が交わされるのか?

これは、どんな事実よりも「奇」だと思うのだが、あなたどう思うか?